タカユキ(TAKAYUKI)


      若い頃の大江幸雄
 1958(昭和33)年に結成された第2次RCC(Rock Climbing Club)は内部に登山用具研究会を組織し、RCCの名を冠したピッケルやアイゼンを販売した。開発の中心になったのは同人の大江幸雄であった。大江はRCCU発足以前から暖めていたピッケルのアイディアを実現させた。
 大江の目指したピッケルは直線的なピックを持ち、かつピック下面の幅をなるべく広く取るというものだった。これに対して強度的に問題のないピック上面は軽量化のために削り取る形状とした。さらにカラビナホールはブレードに開けることにした。こうしてモデルRCCピッケルはRCCU結成と同じ年(1958年)の9月頃販売開始された。販売したのは八重洲にあった秀山荘と飯田橋にあった梓(奥山章経営)であった。

 このピッケルを作ったのは自由が丘の鍛冶屋、田中隆行(または隆之)であった。田中は親子で鍛冶屋をやっていて大江が芝工大の学生であった頃に知り合った。しかし田中に関してはその程度しか分かっていない。モデルRCC初期型は数10本の試作の後、市販に至った。
 初期型は大江のアイディア通りブレードにだけカラビナホールがあり、シャフト延長上には穴が開いていなかった。このモデルは50本程度が販売された。その後シャフト延長上にもカラビナホールが開けられた2型に移行し、300〜400本が販売された。
 しかし田中が家を出てしまって作り手がいなくなり、その後モデルRCCの製造はエバニューに移ることになった。(文中敬称略)


モデルRCC(2型) [東京都練馬区、和田好弘氏所蔵(高橋琢政氏旧蔵品)]
 田中隆行作の2型でヘッド長30.0cm、全長74.5cm、重量890g。フィンガーは110mmで2点留めとなっている。シャフトは長方形と言えるほどに平たく削られている。
 銘にはDesign S.OOEと大江が設計者であることを記すと共に大江の指示で作者名TAKAYUKIを入れることになった。その前方にある逆三角形の図形はヘッドの断面形状を表している。Model R.R.Cの文字も含めて銘は刻印を使わずエッチングで記していた。













ピック下面幅の比較
上からシモン・スーパーD、モデルRCC、
シャルレ・スーパーコンタ2