フプアウフ(HUPFAUF)

初代(the 1st.);Anton Hupfauf(1871-1916)
2代(the 2nd.);Anton Hupfauf(1908-1993)

フプアウフの工場全景(1975年撮影)



晩年の2代目フプアウフ(1988年撮影)


 初代フプアウフ(アントン・フプアウフAnton Hupfauf)は、オーストリアのチロル地方フルプメス(Fulpmes)の生まれだった。そこで鍛冶屋の修行をした後、1898年にスイスのアインズィーデルン(Einsiedeln)に移住し、鍛冶屋を開業した。
 当初は農具や刃物の製造が主体だったと思われるが次第にピッケルやアイゼンも作っていった。製品は外国にも輸出され、1911年イタリアのトリノで開催されたトリノ万国博覧会では金賞を獲得した。しかし初代フプアウフは、1916年に事故のため他界した。
 初代フプアウフ死去後2代目が育つまでの間、従業員の一人だったMelchior Ochsnerという人物が工場の経営に当たっていた。1924年には工場の他に金属製品や家庭用品を販売する店も開いて多角経営をしたらしい。
 2代目フプアウフも父親と同じ名前(アントン)だった。彼は父親の故郷フルプメスにあるフルプメス・テクニカル・カレッジ(Fulpmes Technical College)で金属加工を学んだ。そこを1926年に卒業し、1930年に父の工場を継いだ。
 2代目作のピッケルやアイゼンも初代と同様に外国に輸出された。第2次世界大戦中は軍への製品納入も行った。
 工場には最盛期には15人の従業員がいたらしいが戦後1948年に工場を閉じた。2代目フプアウフの息子は技術者となり、父の跡を継がなかったためピッケル鍛冶はそこで途絶えてしまった。ただし1924年に開いた店の方は1979年まで営業していた。

 日本に於けるフプアウフは、大坂の好日山荘が1926(大正15/昭和1)年に輸入し始めたのが最初の物だと思われる。
 フプアウフは日本では英語読みされてヒュップハウフとも呼ばれていた。

[フプアウフについての情報及び写真を、2代目フプアウフの娘、エリザベス・マンツさん(Mrs.Elisabeth Munz-Hupfauf)からお寄せいただきました]


 フプアウフの工場があった町アインズィーデルンはチューリッヒの南東約30q、ルツェルン(Luzern)の東約30q、スイス・アルプス北麓に位置する所にある。アインズィーデルン(Einsiedeln)は「隠者として暮らす」という意味であり、正にその言葉通りこの町にはベネディクト会(カトリック)の修道院が古くから(10世紀に始まり、18世紀前半には今日の壮麗な修道院と教会になった)存在する有名な巡礼地である。

アインズィーデルンの位置


アインズィーデルンの大修道院

アインズィーデルンの町並み



[フプアウフの古いカタログからの抜粋]
 これによるとフプアウフの銘は中央のフプアウフ自身の名を入れた銘の他にプリマの銘とライオン・マークの銘があったことが分かる。



[フプアウフのピッケルのモデル]
 モデルAはグリンデルワルト型、モデルJはヴァリス(ツェルマットなどが含まれる地域)型、モデルCはスイス型となっている。



[モデルAとCのヘッド長]


初代作 [神奈川県大磯町、佐々木直氏所蔵]
 このピッケルは初代存命中の1910年代の物ではないだろうか。ヘッド長27.8p、全長110p、重量1330gとかなり重い。ヘッド形状はオーストリアのフルプメス(Werk Fulpmes)の形状に良く似ている。石突きはこれもオーストリア製の流れを汲んだワンピース型となっている。
 銘はA.HUPFAUF WERKZEUGSCHMIED EINSIEDELN SCHWEIZ と打ってある。2段目のWERKZEUGは道具や工具(英語ではwork tool)の意味で、SCHMIEDは鍛冶(英語ではsmith)という意味。ライオン・マーク下部にはGARANTIERTと併記されている。これは保証(英語ではguaranteed)という意味であり、その下には製造番号が打たれている。ピック下面にはC3と打たれている。















Lion mark(1)
 このピッケルはヘッド長25.5pと短く、全長100.5p、重量1080gである。ライオンマークの下の製造番号から判断して1920年代の物であろう。
 ヘッドにはフプアウフの刻印はないが、堀田弘司著「山への挑戦−登山道具は語る−」(参考文献1-4)には「(フプアウフは)ライオン・マークと呼ばれて人気があった」と書かれており、このピッケルがそれであると判断できる。また高須茂著「登山技術」(参考文献1-6)では、このマークのピッケルをオデル(販売店名か?)と呼んでいる。
 ヘッドにフプアウフの刻印がないのは初代死去後2代目が後を継ぐ間に作られた物だったからではないだろうか。











Lion mark(2) [東京都新宿区、大坂透氏所蔵]
 このピッケルは1930年頃(昭和初期)日本に輸出された物であり、フプアウフが日本に入り始めた頃の物と思われる。ヘッド長26.4p、全長102p、重量1040gである。













エーデルワイス(Edelweiss)
 フプアウフのカタログにエーデルワイスというモデル名で出ているピッケルである。ヘッド長28.3cm、全長105cm、ピック下には8段の刻みが入っている。どういう訳かこのモデルにはヘッド長の違いによるバリエーションはなかったようである。
 銘はエーデルワイスの花の周りにSCHWEIZER PICKELと打ってある(SCHWEIZERはスイス)。













2代目作 [東京都在住、N氏所蔵]
 これは銘が変わって2代目の作であろう。1930年代から40年代の物と思われる。ヘッド長2826.2p、全長83p、重量880gとなり、ステッキのような長いシャフトから短めになっている。ブレードの形状も丸みを帯びた形に変化している。
 銘のライオンマークは新しく作り変えたようだ。またピック下面には単に4と打たれていてモデル名を表すコードが打たれていない。この頃はこのモデルしか作っていなかったと考えられる。















2代目作(山岳兵用)
 2代目作でヘッド長28.5p。小振りで細身のすっきりしたヘッド形状である。スイス山岳兵用に納入された物で1942は製造年を表している。