アイスマンシップ(ICEMANSHIP、東京、1948〜1955)


アイスマンシップの製作者、森田直治[2004年撮影]
 太平洋戦争終結後間もない1947(昭和22)年頃、東京都東村山市栄町にあった鍛冶屋「当麻製作所」を一人の男が訪ねてきた。男の名前は小林伊三郎。神田神保町で「アルプス」という名の登山用品店を経営していた。彼は当麻製作所の経営者当麻虎三郎とその甥で当麻製作所を手伝っていた森田直治[1926(大正15)年生まれ]に対して「ピッケルを作らないか」と持ちかけた。小林が見本として持ってきた山内のピッケルを見た森田は「何と美しいピッケルだろう」と感心した。森田は小林の提案を受け入れて早速ピッケルの試作を始めた。そして1948(昭和23)年、最初の製品が完成した。銘はシェンクに似た二重楕円で上段に「アルプス」の商標であったICEMANSHIP(アイスマンシップ)、下段にTOKYOと打った。この銘のピッケルは1955(昭和30)年頃まで作られた。
 



ICEMANSHIP[神奈川県川崎市、宮坂吉雄氏所蔵]
 ピック背面にNo.235と打ってあり、これが製造番号とするとかなり初期の頃の作と考えられる1本。ヘッド長31.5cm、全長84.5cm、重量970g。ブレードは古風な扇形にできている。















ICEMANSHIP[群馬県榛名町、佐々木直氏所蔵]
 これは飯塚運動具製作所が陸上自衛隊に納入したピッケルである。ヘッド長29.4p、全長84.5p、重量1015gで同時代のベントやウィリッシュに良く似たヘッド形状をしている。シャフトはやや太くできている。
 モデル名はALPINE ROSE(アルパイン・ローズ、西洋シャクナゲ)である。銘にはHOPEとI.S.G.M.が併記されている。ピックにはこの他に納入業者であった好日山荘(東京・大阪にあった登山用品店、現潟Rージツの前身)のマークと自衛隊装備品を表す桜マークが打たれている。
 シャフトには品名(ピッケル)や調達年1956(昭和31)年、およびそれに続く管理番号が焼印されている。またOD色(olive drab、濃黄緑色)の布製ヘッド・カバーが付属していてこれにも品名や管理番号が印刷されている。