山内(YAMANOUCHI)

 山内東一郎はピッケルだけでなくアイゼンも製作していた。しかしその数は極めて少なく、おそらく500足程度であろうと思われる。アイゼンの形は門田がエッケンシュタイン型であったのに対して山内はホレショフスキー型を採用した。
 岩手県の大迫町立山岳博物館のパンフレットには47番の製作番号を持つ8本爪のホレショフスキー型山内アイゼンが写真入りで記載されている。これは1933(昭和8)年の作とあるので山内はピッケル作りとほぼ同時期にアイゼンの製作も始めていたことが伺える。また長野県の大町山岳博物館には172番のアイゼンが展示されている。



268番(8本爪) [神奈川県秦野市、平野義耀氏所蔵(岩田伝三郎氏旧蔵品)]
 大町山岳博物館所蔵の物と同型の8本爪アイゼンである。このアイゼンの特徴は爪先部分のリング位置を5cmほど後退させている点である。これは誰の発案かは不明であるがホレショフスキー型の欠点である前足部のリングが遠くなることを補う試みであろう。
 銘の文字は右側から読む方向で、2段目に「仙台」、3段目に「山内作」、そして4段目に製作番号が刻まれている。3段目の「作」は「山内」の間に割り込む形で刻まれている。また「仙台」は右足は「山内作」と同じ向きに刻んであるが左足は180度反転した向きで刻んである。この文字の向きで左右を見分けられるようにしたのであろうか。
 このアイゼンが作られた時期であるが、山内は時代と共に刻む字体を変化させた。特に「山」の字に変化が多く見られる。そこから推察すると1940(昭和15)年頃の製作ではないかと考えられる。なお重量は1足で960gである。





 左足前部の銘


 右足前部の銘









無番(10本爪) [兵庫県明石市、木下一氏所蔵(写真提供)]
 このアイゼンは山内後期の1955(昭和30)年頃の作であろう(「山」の字体の違いをピッケルを参照して確認されたい)。前足部はエッケンシュタイン型とホレショフスキー型の折衷案のように進化し、それに伴って爪先部のリングが通常の位置に戻っている。
 銘は「山内作」だけとなり、「仙台」が刻まれなくなった。このため左右判別のために「R」の刻印が右足の銘近くに打たれている。また製作番号はどこにも刻まれていない。







 右足前部の銘